【レポート】アナリーゼワークショップ Vol.58 酒井有彩(ピアノ)
- 会場
- サントミューゼ
アナリーゼ(楽曲解析)ワークショップ Vol.58
お話:酒井有彩さん
7月1日(金) 19:00~ at サントミューゼ小ホール
国内外で注目を集めるピアニストの酒井有彩さん。今年度のサントミューゼのレジデント・アーティストとして、上田で多彩な演奏活動を行っています。7月18日に小ホールで行われるリサイタルに先駆けて、プログラムの魅力を解説するアナリーゼワークショップが開催されました。
ステージ上のスクリーンには、ロベルト・シューマンの肖像画。今日のアナリーゼでは、酒井さんがリサイタルで演奏するシューマンの大作『交響的練習曲』について解説します。
ステージに登場した酒井さんは、最初にシューマンのピアノ曲『子供の情景』から『第1曲 見知らぬ国と人々について』『第7曲 トロイメライ(夢)』を演奏しました。きらきらと繊細な音が心地よくホールを満たし、音の余韻もきれいです。
「シューマンは、愛と人間の精神をロマンチックに語った音楽家だと思います」
そう話した酒井さん、最初にシューマンの人生をダイジェストで解説してくれました。シューマンの父は出版業を営んでいてシューマンが文学への造詣を深めるきっかけになったこと、7歳から教会オルガニストに師事して勉強を始めたこと、15歳の時に姉が自死し、16歳の時に父も亡くなってしまったこと。一度は法律の道へ進みつつもピアニストを目指し、しかし指を痛めて断念したこと、クララとの恋と結婚。晩年は心身を壊し、46歳で亡くなったこと。
酒井さんがドイツで暮らしていた際に撮影した、シューマンの生家やクララとの手紙の中にも登場した教会、ドイツ最古のカフェなどの写真も見せてくれました。
「私が住んでいたベルリンの冬はとても暗くて、初めて過ごした年は気が滅入ったほど。でも春がくると、同じ街とは思えないほど輝いて見えました」
シューマンは24歳の時、エリネスティーネという女性と恋に落ちます。彼女と愛を育む中で生まれた名曲の一つが、今回取り上げる『交響的練習曲』。エリネスティーネの父・フリッケン男爵の主題による変奏曲で、1834年から1837年にかけて作曲されました。
「おもしろいことに、この作品はピアニストによって演奏時間が違うんです。なぜなら初版と改訂版で曲の数が違い、さらにシューマンの死後に出た全集には遺作5曲が追加されているんです。どの版を選ぶのか、遺作を入れるのか、入れたら順番をどうするのか。それぞれのピアニストのこだわりが表れる作品です」
シューマンが悩みながら完成したことが伝わってくるこの作品。調性は「嬰ハ短調」で書かれています。同じ嬰ハ短調の曲の例として弾いてくれたのは、ショパンの「幻想即興曲」やベートーヴェンの「月光」。
「嬰ハ短調は、悲劇的で心に訴えかける力を持つ調性だと思います」
そして、『交響的練習曲』の主題の冒頭を演奏してくれました。深々と重く、豊かな旋律。和音を同時に弾くのではなく、ハープのように分散させて弾く箇所があり「交響的な広がりを感じます」と酒井さん。
スクリーンには、酒井さんがリサイタルで演奏する『交響的練習曲』17曲が演奏順に表示されました。
ここで「練習曲1」の冒頭を演奏。先ほどの主題とは打って変わって、リズミカルで軽快な調子が印象的です。この曲はフーガという書法で書かれていて、フーガのテーマがバス→テノール→あると→ソプラノへと続きます。弾いてくうち、ようやく冒頭の主題が現れました。
「一般的な変奏曲は主題を変奏していきますが、シューマンの変奏曲のおもしろいところは、主題を原型のまま曲中にポンと浮かび上がらせる所なんです」
もう一つ、シューマンの「仕掛け」として紹介したのが4種類の譜面。すべてに「4度」と書き込まれています。
「すべてに4度の音程が散りばめられているんです。シューマンの曲には色々な仕掛けがあって、楽譜から彼のアイデアが見えてきた時がおもしろい」
そこから17曲を一部分ずつ弾きながら、特徴を解説してくれました。
例えば『練習曲3』は難易度が非常に高く、右手のめくるめくメロディーがパガニーニの弦楽器の響きに影響されているようで感じること、『遺作変奏曲1』は右手が奏でる音が揺れ動く気持ちを表現しているようなこと。厳格な『練習曲8』は、ハーモニーの重なりが移り変わっていくラストが素晴らしく、4度で始まる『練習曲11』は陰鬱ながらメランコリックな美しさがあり、「胸が締めつけられるようですよね」と酒井さん。
最後の『練習曲12(終曲)』は、
「主題が右手、左手、右手、と対話のように移り変わって、高揚していきます」
と紹介。ドラマチックな調べを贅沢に聴かせてくれました。
酒井さん自身も、今回のリサイタルが初めての披露となる圧巻の17曲。当日が楽しみになるアナリーゼでした。