【レポート】田中拓也&中野翔太 アナリーゼワークショップvol.45
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2020.12.11(金)
サクソフォニストの田中拓也さんとピアニストの中野翔太さんが、1月23日(土)に開催する『デュオ・リサイタル』を前に、公演で演奏する楽曲の聴きどころを解説しました。
講義の構成はとても面白く、お2人のトーク力も感じた1時間でした。
田中 これから解説するのは、サクソフォン奏者の須川展也さんが作曲家の吉松隆さんに委嘱して、1991年に完成させた「ファジィ・バード・ソナタ」です。
曲名にある「ファジィ」ですが、日本語では“曖昧な”という意味があります。
サクソフォンについてですが、発明したのは楽器製作者のアドルフ・サックスです。彼はベルギーのディナンという小さな村で生まれました。サクソフォンは彼の名前の“サックス”と鳴りものを意味する“フォーン”を掛け合わせたもので、誕生の背景には、“金楽器のような音色を持ちながらも音量を兼ね備えた楽器で、オーケストラの中低音域のサウンドに幅をもたせたい”というニーズがありました。
最初はフランスでクラシックサックスが発展していきますが、この楽器がアメリカに渡るとジャズサックスが発展します。現在では幅広いジャンルで演奏されるようになっていて、そういった意味でもこの楽器のファジィさを感じることができます。
中野 ここからは吉松隆さんについてお話します。吉松さんは1953年、東京で生まれました。家族には医者が多く、一時は医学の道に進もうと考えていたそうですが、一方で絵を描くのも大好きで漫画家を夢見ていた時期もあったそうですので、まさにファジィな人生を歩まれてきました。
そこからなぜクラシックの作曲家になろうと思ったのか。きっかけは、14歳の時、レコードでベートーヴェンの「運命」を聴いて衝撃を受けたことにあります。
作曲家を目指す場合、一般的には音大に行き、作曲について学び、どなたかに師事してさらに学んで行くという道を進む人が多いのですが、彼はほぼ独学で勉強しています。そしてクラシックはもちろんジャズ、プログレッシブロック、民俗音楽など柔軟に幅広い音楽を吸収していきました。
今、「プログレッシブロック(以下「プログレ」。)」と言いましたが、この音楽は1960年代後半にイギリスで誕生した進歩的、革新的といった意味を持つ音楽のジャンルです。
田中 それまでのロックというのは基本となるビートがあって単純でノリやすいものでした。そこから次第に複雑化していって、可能性を探した時代の音楽ですよね。
中野 そして吉松さんはプログレの人気バンド・タルカスの名作をオーケストラ用に編曲。2010年に初演しました。実はクラシック演奏家の中にはプログレ好きな方っていらっしゃるんですよ。
田中 プログレって結構クラシック的な考え方がありますもんね。クラシックはすべてが緻密に作られていますが、プログレも同様に複雑性を持ち合わせています。そういった点がクラシック演奏家に好まれるのかもしれませんね。
ここまでプログレについて語ってきましたが、それが「ファジィ・バード・ソナタ」にも深く関わっています。
中野 吉松さんは自伝の中で、ジャズでもクラシックでもないという立ち位置にいるサクソフォンというコウモリみたいな楽器に、さほど魅力を感じなかったと述べています。しかし、須川展也さんのクラシックやジャズを瞬時に吹きわけるテクニックに触れて、サクソフォンがクラシックにもジャズにも瞬時にスイッチできる万能な楽器であることに気づきます。そして、クラシックでありながらジャズっぽくもあり、さらにはプログレっぽくもあり、エスニックでもある「ファジィ・バード・ソナタ」が生まれるわけです。いろんな音楽が好きという雑食主義がこの曲で初めて1つの形になり、手応えを感じたというようなことが書かれていました。
田中 ここですごいのは「雑食主義」で、とても象徴的な言葉ですよね。音楽をどこまでもフラットに見て自分のものにしてしまうという良さがあります。
ここからどんな音楽の要素があるのかを紐解いていきます。先ほどの「タルカス」は拍子が難しく、最初は5拍子から始まって3拍子、また5拍子、その後に4拍子とリズム感が変わっていきます。
中野 吉松さんは音楽がずっと同じ拍子なんておかしいとも話されています。例えば俳句も五・七・五から作られているように、自然には偶数で割り切れない脈動があると。ゆらゆら揺らぐようなリズムが自然であるとおっしゃっています。そういった考えの中で生まれたリズムが「ファジィ・バード・ソナタ」にもたくさん現れます。
田中 それでは「ファジィ・バード・ソナタ」のリズムはどうなっているのか、楽譜をお見せします。この中に16分の11という拍子があります。このようなイレギュラーな拍子がこの曲のかっこ良さにつながります。
つづいて民俗音楽はどこにあるか探してみると、装飾音符や音の羅列、音と音がなめらかに進むベンドに現れています。これらの音から尺八といった和楽器や、中東音楽のような音が現れているような印象を受けます。
最後に整合性と混沌についてお話します。この曲は緻密に作り込まれているところとそうでないところの差が大きいのも特色です。3楽章の終わりには「quasi adlib」と書かれてあり、自由に演奏するパートがあります。
中野 1楽章はきっちり拍子を合わせて整合性を図っていきますが、2・3楽章は段々とその境界線がファジィになっていき即興につながるんですよね。
田中 このように整合性のあるパートから自由なパートへと変化していくことで曲にコントラストが生まれて、紅葉していくようです。最後にコンサートに向けてひと言お伝えしましょうか。
中野 私は吉松さんの音楽に対するスタンスにとても共感しています。私たち2人ともに演奏家としてファジィなところがあり、今回のプログラムにもそれが現れています。当日は私が作曲した曲も用意しました。ステージで演奏できることを大変嬉しく思います。
田中 今回アナリーゼでいろいろお話してきましたが、なぜ曲名に「バード」があるんだろうと考えました。もちろん鳥そのものという考えもできますが、それよりも飛ぶ行為が音楽のジャンルの垣根を飛び越える。そんな意味があるのかなと感じました。
当日はぜひ、皆さん一人ひとりの感覚に身を委ねて自由に聴いていただけると嬉しいです。