【レポート】冒険王
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【レポート】平田オリザ作・演出『冒険王』
平田オリザ氏唯一の自伝的戯曲で、1996年に初演された『冒険王』。16歳だった平田氏が自転車による世界一周旅行を敢行し、17歳になった1980年の初夏に滞在したトルコ・イスタンブールの安宿での実体験に基づいて書かれた作品です。この『冒険王』の再演と、時代を移して描かれた新作『新・冒険王』の2本立て公演が、2月6日(土)、7日(日)に上演されました。
2月6日(土)の『冒険王』をレポートします。
〈あらすじ〉
1980年初夏、イスタンブールの旧市街にある貧乏旅行者専用の安宿。その安宿の一室に、日本人旅行者たちがたむろしている。テヘランのアメリカ大使館占拠事件と、ソビエト軍のアフガニスタン侵攻によって、多くの日本人旅行者が計画の変更を余儀なくされ、東西の接点であるこの街で足止めを食らっているのだ。
トルコ自体も、急激なインフレと政情不安で戒厳令下にあり、さらにラマダンが重なり、街はなんとなく落ち着かない雰囲気の中にある。そんな緊迫した街の情勢とは裏腹に、怠惰な日々を送る日本人旅行者たちの生態の克明な描写のなかから、日本と日本人の姿が、ぼんやりと浮かび上がってくる。
(パンフレットより)
この日の公演後には平田氏本人によるアフタートークが用意されていたこともあり、ロビーには開場前から多くの演劇ファンが詰めかけていて、関心の高さをうかがわせました。
今回の舞台は、ヨーロッパとアジアをつなぐイスタンブール。日本からアジアを経由して長距離バスで西に向かう旅行者と、ヨーロッパを旅してこれからアジア方面をめざす旅行者が行き交う街の安宿です。その一室で、4台の2段ベッドと1台のシングルベッド、中央に誰もが共有できるテーブルとイスが並ぶ男女相部屋にて足止めを食らった日本人バックパッカーたちが、いつ出発するかもわからない長距離バスを待つか、ギリシャへと出国してアテネから飛行機で帰国するかを考えあぐねるなかで繰り広げられるストーリー。
当日配布されたパンフレットによると、1980年に2回に渡ってイスタンブールを訪れた平田氏は、それぞれ10日間ほど滞在し、この作品の舞台となったような安宿で怠惰な日々を過ごしたそうです。そして、この滞在がその後の人生を大きく決定づける重要な時間となり、この時初めて本当に作家になることを決意したと言います。
「この安宿に集っていた様々な人々を尊敬し、信頼し、またある者を反面教師として、私はたしかに、大人への階段を二段飛ばしで駆け上った」(パンフレットより)
つまり、この作品は平田氏の原点となった思い入れの強いものであると同時に、『冒険王』というタイトルは、長期旅行者に対する平田氏の尊敬の念と「どんな冒険も長く続けていると日常になってしまう」という皮肉が込められているようで、ここからは平田氏の独特のユーモアも感じられます。
開場してホールに入ると、すでに役者が演じる3人の宿泊者が舞台上のベッドで寝転がっていたり、テーブルに腰掛けているなど“板付き”で物語が始まっていました。
まず興味を引いたのが、リアルな舞台美術。長期旅行者がベッドの脇に洗濯物を干していたり、かつての旅行者が残していった日本語の本が部屋に置いてあるといった光景は、アジアなどの安宿に宿泊したことがある人は目にしたことがあるのではないでしょうか。
そうした長期旅行者たちは、仕事を辞めたり大学を休学して日本を飛び出し、あてもない旅に身を委ねている人が大半ですが、役者たちはそうした旅行者が放つ独特の雰囲気をまとっていて、自然な演技も相まって、まさにいま目の前に広がっているのはイスタンブールの安宿なのだと思わせるほど。観客を一気に舞台の世界観へと引き込みます。(ちなみにトルコは紅茶消費量世界一なだけあって随所にチャイを飲むシーンが出てきますが、ここで登場するチャイはインドで主流のスパイシーなミルクティーではなく細長いガラスのカップに入った紅茶であるのも、イスタンブールが舞台であることが伝わってきます。)
登場人物は「もう5~6年は日本には帰っていないなあ」というほどの長期旅行者から、日本を出てまだ3カ月の元気な若者までさまざま。平田氏の実体験に基づいて書かれているため、入れ替わり宿を出入りする旅行者たちの細かい行動表現や会話のやりとりがとてもリアルで、長期旅行を経験した人であればきっとその頃を思い出して胸が高鳴るであろうシーンが随所に織り混ざっています。
そして、舞台上では複数の会話が同時に交わるという平田氏独特の演出方法「同時多発会話」が広がり、2段ベッドの立体感も伴ってさまざまな会話が交錯します。といってもそのほとんどは他愛もないもので、それがまた長期旅行者の等身大のリアルさを伝えるとともに、ところどころに織り交ぜられたクスッと笑ってしまうようなセリフが平田氏の持ち前のおもしろさを伝えます。
場面転換が一切ない会話劇ながら、そのなかで誰かが宿を去ると物悲しい雰囲気が漂ったり、次々に現れる特徴的な旅行者たちが時に部屋の空気を乱したりと小さなドラマも起こり、退屈する時間がありません。
例えば、ニューヨークに長く滞在しながら旅行をしていた男性は、現地で知り合った女性との結婚が決まり、かつての旅仲間に会いに部屋を訪ねてきますが、そこからは怠惰ながらも楽しかった旅の生活に別れを告げる寂しさや、仲間に対する罪悪感、そして久しぶりに帰国する日本での生活に対する漠然とした不安などが感じられ、非常にリアルです。当時はいまのようにインターネットもなく、簡単に連絡が取り合えない時代。だからこそ、余計に旅の別れは一生の別れをも意味するような重要な意味合いを持っていたのでしょう。自然な演技からそれが伝わってきます。
また、元高校教師の男性は、仕事を辞めてアテネで針金細工を売って生活をしていますが、その妻が突然宿を訪ねてくるシーンでは、ちょうど男性が女子大生2人を連れて宿に戻ってきて妻と鉢合わせ、気まずい空気が流れます。「これからどうなるのだろう」というドキドキ感がありながらも、困惑しつつ開き直りともいえるような態度をとる役者の表現力が素晴らしく、また、そのバツの悪さから何とか逃げ出そうとする周囲の旅行者を演じる役者のセリフや動きもユニークで思わず笑ってしまいました。
このようにさまざまな背景を背負った旅行者が、お互いをなんとなく知りながら知らない状態でともに一時の時間を共有するなかで、時折、人生の楽しさも無情さも感じさせるようなセリフがあってドキリとさせられるのもこの作品の魅力です。また、1980年に韓国で起きた光州事件を語るシーンでは、在日の青年の不安な心情が描かれていて、当時の政治的な背景と現代の世界情勢を思わず照らし合わせてしまいます。そうしたシリアスな一幕がありながらも、SONYの「ウォークマン」が最新機器として登場したり「三浦友和と山口百恵の結婚」が話題になっていたりと、当時の流行が感じられるおもしろさも溢れていました。
そして、そんな小さなドラマが起こるなかで旅行者たちの日がな1日は終わりを迎え、アジアとヨーロッパの境界線である「ガラタ橋」でヨーロッパ側に沈む夕陽を見ようと皆が会話をしながら、舞台は徐々にフェードアウトして幕を閉じます。
作品のなかで、17歳だった平田氏にとってこの安宿での体験が具体的にどのように人生に影響を与えたのかが表現されることはもちろんありませんでしたが、なんとなく「そういうことだろうな」という腑に落ちたような余韻が残りました。
公演後のアフタートークでは、平田氏が舞台上のイスに腰掛けながら、なぜ16歳で旅行に出たか、また、イスタンブールでどのような体験をしてこの作品が生まれたかといった背景を語ったあと、観客からの質問に答えました。
そのなかでは、「人間はインプットとアウトプットを同時に記憶し、インプット(感じ方)は人それぞれでいい」という話や、大学時代の先輩で小説家の奥泉光さんに「演劇では食べていけないから小説でも書こうと思っている」と相談したところ「小説家は寂しいから演劇のほうがいい」と言われて演劇を続けている話など、とても興味深い話を聞くことができました(とはいえ、2012年に平田氏が執筆した小説『幕が上がる』は、作家生活35年にして初となる累計10万部を売り上げたベストセラーになった点も興味深いのですが)。また、この小ホールの中でいかに役者のセリフを客席に響かせるかに苦心して演出した様子も伺うこともできました。
最後に、翌日上演される『新・冒険王』の紹介をし、「ぜひ明日も観にきてください」と呼びかけるかたちでアフタートークも終了となりました。この言葉で、観客の翌日の公演への期待がさらに高まったことでしょう。終演後は、平田氏にサインを求める多くのファンでロビーは賑わっていました。