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【レポート】アナリーゼ・ワークショップ vol.53~茂木大輔~ ブラームス:交響曲第4番をめぐって

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会場
サントミューゼ

2021年10月31日(日)15:00~16:30 サントミューゼ 大スタジオ

 

12月3日(金)の“生で聴く『のだめカンタービレ』の音楽会”オーケストラ版vol.5をより深く楽しむために、指揮者の茂木大輔さんによるアナリーゼ・ワークショップが開催されました。その様子をレポートします。

 

今年の「のだめ音楽会」は、のだめがミルヒーの指揮で世界デビューを果たした際のショパン「ピアノ協奏曲第1番」とブラームスの「交響曲第4番」を再現。ロマン派という共通点はありながらテイストの違うふたりの作曲家の大曲です。

 

最初は「調(ちょう)」の話から始まります。「調が何か分かりますか?」とお客様とやりとりしながら話が進みます。その音楽の性格を決めるのが調で、作曲家は作曲する時にまず調から決めるそうです。面白いのは、モーツァルトやハイドンの交響曲はハ長調かニ長調がほとんどという事実。今は音を自在に変えられるトランペットやホルンなどの管楽器は、昔は出せる音が限られていました。それで調も限られてしまっていた、というわけです。

 

 

 

今回取り上げるブラームスの「交響曲第4番」は、珍しいホ短調。同じホ短調で有名な曲としてバッハの「マタイ受難曲」があります。「孤独や寂しさ、内に秘めた悲しみが感じられる」と茂木さんは言います。

 

そして、ブラームスがこの曲を書いた1885年前後は茂木さんいわく“交響曲奇跡の年”で、マーラー、チャイコフスキー、ドボルザークなど名だたる作曲家が後世に残る交響曲を書いています。交響曲は18世紀の終わりからつくられるようになり、19世紀の音楽史はそのまま交響曲の歴史と重なるのだとか。

 

続いて、ブラームス自身に焦点を当てていきます。ブラームスの生地は、当時の音楽の中心地ウィーンより北方のハンブルク。ドイツで留学、演奏活動をしていた茂木さんは、ブラームスを「北方ドイツという、当時の音楽界では例外的な土地で音楽を育んだ作曲家」と分析し、ヨーロッパ人が北方ドイツに抱く印象として「霧、悪天候、非貴族的、寡黙、皮肉、優柔不断」という言葉を挙げます。非常に緻密で論理的で、伝統を重んじた重厚な音楽をつくるブラームスのイメージと重なります。「若い頃に書いたカルテットは楽譜を全部捨てたそうです。残っていたら弦楽奏者はどんなに喜んだか」というエピソードに、ブラームスの妥協しない厳しい一面を感じました。

 

 

 

もうひとつ、ブラームスを語る上で欠かせないのは、ブラームスを激賞して親交を深めたシューマン夫妻。特に妻クララのことはシューマン亡き後も支え続け、恋慕があったのではないかと言われています。「『交響曲第1番』には、クララに宛てた手紙に書いた楽譜と同じ『クララ主題』が使われています」と茂木さんが言うように、音楽的にも大きなインスピレーションを得ていたようです。

 

ブラームスは4つの交響曲を残していますが、いずれも4楽章で構成されていて、楽器の編成も古典的です。古典的というのは、打楽器はティンパニくらいしか使わず、金管楽器は原則トランペットとホルン、民謡を取り入れないという点です。

 

「交響曲第4番」の第1楽章は、悲しく美しい主題に加え、矛盾するような性格の違う旋律が複数入ります。非常に複雑で急ぎ足な印象を与え、緊密さが心地良さとブラームスらしさを呼び起こします。第2楽章は「フリギア旋法」という教会音楽の手法を用いているせいか、不思議かつ懐古的なムードが。第3楽章は、フィナーレのような楽しく爽快な曲想。第4楽章はシャコンヌやコラールといった賛美歌や古い形式を取り入れ、強いエモーションと荘厳さに圧倒されます。「背中を強く縛り付けられていて、そこから抜け出そうともがくような」という茂木さんの解説でイメージがよりふくらみます。最後は残酷に断ち切られるように終わります。

 

 

 

 

茂木さんは、元N響首席客演指揮者で作曲家でもあるアンドレ・プレヴィンの言葉を紹介します。「この世に2曲だけ、どこにも直すところのない(完璧な)作品が存在する。それはモーツァルトの40番とブラームスの4番です」。

 

12月の音楽会では茂木さんと群馬交響楽団でどんな“4番”が奏でられるのか、ますます楽しみになりました。