サントミューゼ(上田市交流文化芸術センター・上田市立美術館) おかげさまでサントミューゼは10周年

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【レポート】2016年NHK大河ドラマ特別展「真田丸」 ナイトミュージアム・プレミアム

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サントミューゼ

2016年7月22日(金)、大河ドラマ特別展「真田丸」もっと楽しむ関連企画として、限定20名で夜の美術館をお楽しみいただける、「ナイトミュージアム・プレミアム」を開催しました。

 

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夜のひとときを美術館でゆっくり鑑賞しながら過ごすナイトミュージアム。

昼間とはまた違った雰囲気の中で見る展覧会はまた格別です。

今回はさらにその時間をナビゲートする講師をお迎えしました。

講師は、2016年NHK大河ドラマ「真田丸」の時代考証を行っている平山優先生です。

 

平山先生は山梨県在住。武田氏研究の第一人者です。

ということで早速、展覧会の第1章「武田と真田」の解説からスタート!

 

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真田昌幸が初陣を飾った戦いの場~《川中島合戦図屏風》

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まずはこちら。岩国美術館(山口県岩国市)が所蔵する圧巻の八曲一双の屏風。第四次川中島合戦の様子を描いたもの。この戦いでは、上杉謙信と武田信玄の一騎打ちが行われたと伝えられ、真田昌幸はこの戦いが初陣だったということです。

 

真田家が戦った合戦の実際を目の当たりにする~

《武田軍使用長槍》 《血染めの陣羽織》 《長篠合戦戦装束経帷子》

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織田徳川連合軍が三重の馬防柵に三千丁の鉄砲で武田勝頼軍を破った「長篠の戦い」。武田軍はこの戦いで大敗を喫しますが、その生々しい当時の遺品をご紹介しました。

武田家に従っていた真田信繁の伯父である真田信綱の首を包んだと伝えられる《血染めの陣羽織》、ドラマ「真田丸」の中で「黙れこわっぱ!」のセリフで有名になった室賀正武の実の兄・屋代正長が出陣の時に着用した下着《長篠合戦戦装束経帷子》(ながしのかっせんいくさしょうぞくきょうかたびら)などの遺品、武田軍で実際に使用されていた長さ5メートル以上もある赤備えの槍《武田軍使用長槍》について解説。

当時の遺品をこれだけまとめて見ることができるのはたいへん貴重であるとのお話でした。

 

信繁は秀吉の身辺警護を行う「馬廻り衆」だった~《肥前名護屋城図》

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大河ドラマの中で信繁は秀吉のそばに仕える設定ですが、当初はそのような事実を示す証拠がなかったそうです。ところが、真田親子が文禄・慶長の役で肥前名護屋城にいた頃の文書に、「真田源二」の名で信繁が秀吉の「馬廻り衆」として仕えていた証拠がほんの1年前に判明し、それがドラマ制作に反映されたというエピソードをお話しくださいました。

 

真田昌幸になれる軍議台!?

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上田会場では、軍議の場を再現したコーナーがあります。周囲は六連銭の陣幕、そして中央には軍議を行う台と絵図に碁石。

「謀(はかりごと)は帷幄(いあく/幕を張り巡らせた本陣)の中でめぐらし、勝ちを千里の外に決す」という真田昌幸の肖像画に書かれた一節をイメージしたもの。「謀略家・真田昌幸の気分に浸れるのでクルミを握ってみてください」と平山先生は軽い冗談で参加者を笑わせました。

 

信繁たちとしっかり連絡を取って戦え~《大野主馬書状》

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大坂夏の陣の最終決戦の日・慶長20年5月7日に出された豊臣方最後の軍令状。信繁が討ち死にしたまさにその日の書状です。

「真田信繁軍や毛利勝永軍とよく連絡を取り合って、決して軽率に合戦を始めないように」「敵を引き付けてから戦えばきっと勝ち目はある。」と書かれた大変貴重な書状で、平山先生もこの書状の現物と対面した時には、感慨ひとしおだったそうです。

 

 

大河ドラマ制作時のエピソードや、展示されている実際の歴史資料から分かる当時の状況などのお話も交えながらのプレミアムナイトミュージアム。1時間15分あまりでしたが、時間が過ぎるのをつい忘れてしまいそうな贅沢なひとときでした。

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7月29日(金)と8月19日(金)は、夜9時まで開館時間を延長する「ナイトミュージアム」。

夜のライトアップが美しい美術館で、本物の真田丸の世界へどっぷり浸かってください。

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