【レポート】MUM&GYPSY『10th Anniversary Tour』
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MUM&GYPSY『10th Anniversary Tour』
ΛΛΛ かえりの合図、まっていた食卓、そこ、きっと― ― ― ― ― ―
2017年8月5日(土)15:00開演 at 大スタジオ
本作品は、2011年に発表した『帰りの合図、』『待っていた食卓、』をベースに、MUM&GYPSY・藤田貫大さんの祖母の家が実際に区画整理でなくなった出来事をテーマに描いた『ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト』の3つの作品を再編集したものです。
暗い大スタジオに浮かび上がるような白い衣裳を着た出演者と、大道具の木の枠のパーツ。
そこに2人の姉妹が登場して、母親の実家に列車で帰るシーンからその物語は始まりました。
帰る意味などさほど考えず、お互いに口喧嘩をしながら家がある駅にたどりついた2人。
この作品では、そこから幾度となくDVDの「戻る」と「再生」ボタンを押したかのように、記憶をたどり、同じ言葉をリフレインしていきます。
海の近くで暮らしていたある1組の家族。
姉と妹は実家を離れてしまい、弟が家に残って家を守っている。
毎年のように姉は子どもたちを連れて帰省し、妹、近隣住民も訪れて食卓がにぎやかになる―。
家があることに疑いを持たずに、またこの時期でからと帰省し、家族やいとこと何気ないおしゃべりをして、時にケンカをする。
当たり前にある日常風景と食卓の様子が、淡々と表現されていきます。
しかし1年前の父親の死にふり返るあたりからその様子は少しずつ変化し、死によって果たせなかった、または悔やまれる想いが感情に表されていくように。
そして、家が道路の拡張工事により区画整理地域となり取り壊されることが決まった―。
当たり前にあると思っていたみんなの家が、無くなってしまう。
父親がいなくなるなんてその直前まで想像もしなかったように、家が無くなることを考えたこともなく、そこであらためて家で紡いだ歴史と記憶に向き合いました。
それは誰もが共感できるもので、なんてことない日常や会話ばかりだけれど、実はとてもかけがえのないものだと訴えているよう。
後半にさしかかるにつれて役者たちの感情はさらに高まり、ピリピリと心に訴えかけてきます。
作品で表現されている家族の物語には、観る者の記憶とリンクしていくようで涙を流す観客も。
そして、家は取り壊されてしまった―。
更地になってしまった、かつてあったはずの家の間取りを確かめる長女の姿からは、失ったものへの悲しみを感じつつも、終わりから始まる何かを想像することができました。
同じシーンと言葉を何度もリフレインするように繰り返す中で、観客はシーンが進むごとに家族の歴史を知っていくことになります。
同じ言葉を聞いているはずなのに、どんどんその意味を深く理解し、時には自分に照らし合わせて考えたり、共感したりと、自分の内面とも向き合うような深く心に残る作品でした。