【レポート】生誕140年 吉田博展 関連企画 記念講演会1
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山と水の画家、吉田博―その人と芸術
吉田博展が開幕した4月29日(土)、吉田博研究の第一人者・安永幸一さんを講師に迎え講演会を行いました。お話の内容は「光と水の画家 吉田博―その人と芸術」。
長崎県立美術博物館に学芸員として勤務を始めて間もないころ、とある美術館で今までに見たこともない美しい版画に出会ったといいます。その版画の作者が吉田博と分かって以来、これまで研究を40年近く続けてきたということです。吉田博の生まれは福岡県久留米市。安永さんは福岡県の郷土作家として掘り起こし、世に出していきたいと考えたのだそうです。久留米と言えば、青木繁、坂本繁二郎、古賀春江など、著名な作家を輩出した地として知られています。安永さんは、そこに風景画家の巨匠・吉田博を加えようと研究を積み重ねてきました。
安永さんの講演からは、博の生い立ちや人となりが見えてきました。博が進学先の旧制中学の図画教師・吉田嘉三郎に見込まれ養子になり、17歳で上京。まもなく肝心の嘉三郎が亡くなり、博は養子ながらも残された家族の面倒をみる境遇になったといいます。博の画家人生は決して恵まれた環境から始まったわけではなかったのです。上京後に入学した画塾「不同舎」では、縦長や横長の画用紙の隅々まで克明に描く鉛筆スケッチを描くので苦労したが、その間、丸山晩霞に出会い北アルプスの山中で「仙人になったような気分」を味わい、以後、繰り返しアルプスに登るきっかけを得たという信州の山々とのつながりを解説いただきました。「日本アルプスは全部登った」と豪語したと伝わる博の名言(?)も披露し、参加した皆さんの笑いを誘いました。
博の成功は友人の中川八郎を連れて思い切ってアメリカに飛び出したことで開かれていますが、その成功の地・デトロイト美術館でのてんまつを紹介。1回の展覧会で、当時の教員の年収の10年分以上の売り上げをつかんで、「早速スーツを新調し、二人は青年画家として肩で風を切って町を歩いた」と、その時の博の写真を見せながらアメリカでの成功談をお話しいただきました。
「黒田清輝を殴った男」の異名をとるに至ったワケ、博は49歳から版画制作を始めているが、できあがった版画を見るととても「50の手習い」には見えない驚異的な完成度を誇るなど、曲がったことには敢然と立ち向かい、仕事はとことんまで突き詰める博の画家人生をお話しいただきながら、博の代表作をスライドで紹介しました。
講演会終了後にもう一度博の作品を見てみようと、改めて展覧会場に向かう方もたくさんいらっしゃいました。お話を聞いてからの作品鑑賞は、一味違っていたかもしれません。
若き日の吉田博のアメリカでの挑戦を解説
博の必殺技、同じ版で色を変えてバリエーションを作る「別摺り」について解説