【レポート】まちとつながるプロジェクト 『初級革命講座 飛龍伝』
- 開催日
- 時間
- 14:00~
- 会場
- サントミューゼ 大スタジオ
4月、上田市内の劇場「犀の角」での初演を皮切りに全国7か所を巡った『初級革命講座飛龍伝』。劇作家つかこうへいが書き、1973年に初演されたこの伝説的な演目を、自らを“つかチルドレン”と言う劇作家・演出家マキノノゾミさんと「犀の角」のタッグで制作しました。そして今回、劇場と地域がつながることを目指した事業「まちとつながるプロジェクト」の一環として、サントミューゼでの凱旋公演が行われました。
舞台は1960年代安保闘争から20年経った1980年。衝突を繰り返した機動隊の指揮官・山崎と、“機動隊殺し”の異名を持つ全学連の熊田留吉のその後を描いています。
開場前から大スタジオ前には長蛇の列ができ、10代から安保闘争当時を知る世代まで、幅広い層のお客様に熱い期待を寄せられていることが見て取れました。開演前に「犀の角」代表の荒井洋文さんが、「反核」と大書されたヘルメットを被って登場。今回カットされている冒頭の解説シーンについて、「今から約60年前の出来事なので、背景を知った上で観劇してほしい」と“前説”がありました。
舞台にシュプレヒコール、笛の音、何かが炸裂する爆音、叫び声が響きます。吉田智則さん演じる山崎らしき男が舞台に立ち、60年安保最大の決戦場であった国会前で、当時を懐かしむように回想をはじめました。
山崎は雨の中倒れていた女学生・小夜子を自宅で介抱します。敵対する者同士でありながら、それぞれの立場という一線は越えない奇妙な共同生活がはじまりました。温かく愛おしい生活はほどなくして終わりを迎え、場面は1980年へ。
武田義晴さん演じる全学連の闘士・熊田留吉は、投石用の石磨き職人に身をやつし公団アパートの一室に暮らしています。そばで木下智恵さん演じる息子の妻・アイ子が、いい石を見つけられないことを熊田に執拗に責められ、すすり泣いています。つか作品の特徴のひとつである長く圧倒的な量のセリフを通して、熊田の来し方や投石用の石にかける思いが見えてきます。角材と石、薄いヘルメットの学生が、頑丈な装備の機動隊員にボコボコにやられる悲惨な闘争の中で、伝説の石「飛龍」が希望の光のように語られます。
アイ子は小夜子になり、最終決戦の日を回想します。山崎が振り下ろした警棒の下で、絶命する小夜子。一方熊田は、共に闘っていた女性に急激に醒めていく中で、「なんか違う生活があるんじゃないのかな」という思いが浮かび、機動隊側に自ら「逮捕してください」と逃げたことを語ります。
場面変わって、山崎が定期巡回の“挫折監査人”として熊田のもとを訪れます。挑発しつづける山崎と、あっけらかんとした熊田。テレビ受けを狙う学生のあざとさ、敵対が奇妙な連帯感を生んだ果てのエール交換、日和って小市民的な生活に堕した熊田という具合に、安保闘争とその後の内実にさまざまな様相があったことが伝わってきます。「(子どもには)絶対に学生運動はさせたくないのが(世間の)常識だ」とためらいなく言う熊田に、「本当に日本を憂えてたのかよ」と新聞紙を丸めた棒を振りかざす熊田。シリアスとコミカルがないまぜになった丁々発止のやりとりが、客席の笑いを誘います。山崎は、衝突の緊張感と高揚が忘れられないようです。
学生から機動隊員への「百姓、犬」という罵り言葉に、山崎は「(自分は)水呑百姓の八男坊」で機動隊員は「みんな中学出だもん」と反応します。体制対反体制の構図に、出自や学歴の有無という構図が重なります。「肥臭い」「カッペ」と山崎を挑発する熊田の言葉は、山崎にはむしろ気付け薬のような刺激になっているようです。観る者は膨大な量のセリフの渦に巻き込まれていきます。再び対峙することが示唆され、山崎は「モアパッション! モアエモーション!」と熱を帯びた表情でまくしたて、立ち去りました。
入れ替わりに戻ってきたアイ子は、熊田から「試しに背中をこづいてほしい」と言われ、新聞紙の棒で思い切り撲ります。もっと強く撲れという熊田に、「同志熊田よ、闘争勝利、国家権力粉砕!」と高揚するアイ子。過酷な取り調べの中でアジトを白状してしまったこと、装備に勝る機動隊から受ける凄惨な暴力が怖かったことを熊田は告白します。
1980年11月26日の国会前へと場面が変わります。石を売るアイ子に近づいた山崎は、今日相まみえるはずの熊田と栄光の石・飛龍について語ります。「こんな私でも抱きとめてくれませんか」というアイ子の言葉は、小夜子の言葉でしょうか。山崎の目には、各地の革命の志士たちが銘石を手に集う様子が浮かんでいるようです。「飛龍を高々と掲げているであろう男、熊田留吉の現在位置をすみやかに確認せよ! トップエマージェンシー!!」と高らかに叫ぶ山崎。その目には、突進してくる熊田の勇姿が映っている――。
石という貧弱な武器に気高い革命の志を象徴させたフィクションが、熱い季節だった安保闘争の混迷ともの悲しさを浮かび上がらせているようでした。何より3人の俳優が放つ熱量はすさまじく、格闘技のような舞台でした。
25日の終演後は、マキノさん、荒井さん、サントミューゼ総合プロデューサー・荻原康子によるアフタートークが行われました。多くのお客様が残り、3人のトークに熱心に耳を傾けます。
お客様に感想を伺いました。
演劇部の顧問から勧められて来たという松本の高校生ふたりは「迫力がすごくて、気圧されました」と、終演直後の興奮を伝えてくれました。
立科町在住の男性は、70年代安保闘争の時に高校生だったそうです。「アイロニカルな面もあるけれど、(学生運動を)評価している面もあったのかなと思いながら観ていました」と、当時の空気感や実際に足を運んだ三里塚のエピソードを交えて話してくれました。