【レポート】高校生と創る実験的演劇工房8th『Keep the Face』
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- サントミューゼ
サントミューゼの大スタジオを舞台に、上田市内の4つの高校から集まった演劇部のメンバー総勢21名が、プロの演出家とともにひとつの演劇作品を創作する『実験的演劇工房』。今年は昨年に引き続き、演出に岩崎正裕さん(劇団太陽族主宰)、演出補佐に橋本匡市さん(万博設計代表)をお迎えして開催することができました。短期間の限られたスケジュールの中、果たしてどんな作品が生み出されたのでしょうか。
◆容姿の悩みを告白する
稽古初日。まずは、高校生たちと岩崎さん、橋本さんの顔合わせです。昨年から参加している生徒たちもいて、久々の再会を喜ぶ姿も見られます。和やかな雰囲気が会場を包み込みました。それぞれのあいさつが終わると、さっそく岩崎さんから高校生たちに質問です。
「自分の容姿で、もっとこうだったら良かったなぁと思うところってある?」
岩崎さんの中にある小さな構想を膨らませるための、高校生たちに向けた最初のコンタクトは、容姿について。大きくうなずく生徒や、「ある!」と思わず声を出す生徒もいます。
「身長があと2センチ欲しい」、「くせ毛を直したい」、「丸顔だから頬の肉がなくなればいい」、「目がパッチリだったら変わったのになぁ」、「前歯が出ている」・・・
次々と口をついて出る容姿の悩みに一喜一憂して盛り上がる高校生たち。岩崎さんからの質問は、高校生特有の美意識と自意識をくすぐり、あっという間に稽古場の熱量が上がりました。
◆8年目のテーマは『顔』
「演劇を作る上では当然マスクは取りたいんだけど、暮らしていく中でこのままマスクがあってもいいかなぁって思ってる人と、早く取れた方がいいと思ってる人がいるんじゃないかな。みんなはどっち?」
岩崎さんから2つ目の質問が投げかけられました。避けて通ることは難しい『コロナ禍』という現状にまつわる内容です。
生徒たちからは、「肌荒れがひどくなったから」、「息苦しいから」という理由で、“マスクを取りたい”という意見と、逆に、「顔が隠せてラクだから」、「顔に自信がないから」とマスクを“取らなくていい”という意見が出てきます。割合としては、マスクを取らなくてもいいという生徒の方が多い結果に。
容姿にまつわる悩みを吐露し、マスクでその悩みが隠せれば隠したいと思う高校生たち。コロナウイルスによって、高校生たちの生活様式の変化を感じた岩崎さんは、今回の演劇のテーマを見出します。
「見えないからこそ、顔の表情が気になる。演劇的には不都合だけど、つけていたほうがいいって考え方もある。そこから何か、みんなで劇を導き出せないかと思いました。今回のテーマは『顔』にしましょう」
◆身体を「合わせる」難しさ
テーブルトークで高校生たちの熱量がアップしたところで、次は身体をヒートアップさせます。最初に岩崎さん主宰の劇団太陽族で行うアクションを取り入れたストレッチやワークアウトを全員で行い、続けて仲間同士の距離感を詰めていくためのシアターゲームに挑戦します。表情が硬かった現場に笑顔や笑い声が生まれ始め、創作の準備が整いました。
心身をひと通り開放した高校生たちに、岩崎さんから自分の身体に関するワークショップのテーマが伝えられます。それは、
「自分の体のパーツを、どんどん言っていこう!」
目、鼻、口、くるぶし、大胸筋・・・・・次々と身体の一部分を声に出す高校生たちに、畳み掛けるように岩崎さんから、
「パーツの後ろに『を、合わせる』ってくっつけて言ってみて!」
というリクエストが飛び出します。「目を合わせる」から始まり、「鼻を合わせる」、「くるぶしを合わせる」など、言葉の組み合わせを発話してみる高校生たちの間からは、戸惑いとともに言葉の意外性と想像力によって笑いが起こります。
さらにメニューは続きます。「身体のパーツ+合わせる」という台詞を、発話だけではなく、ひとりずつ順番に歩きながら言ってみるという試みです。各々が思う速度で身体を移動させ、心地よいボリュームで「目を合わせる」、「大胸筋を合わせる」と台詞を言うだけで、そこには小さな劇性が芽吹く感覚が生まれます。実験的演劇工房が始動してからわずか1時間で、今回の劇の骨子が見え始めたようです。
さらに「合わせる」という台詞どおりに動くことで、どんな感情が芽生えるのかを実感するために、岩崎さん指導のもとで「合わせる仲間を探す」というアクションに挑戦します。「目を合わせる」は相手が見つかれば容易にできるけど、「くるぶしを合わせる」はどうする?「口を合わせる」はどうする?と、ひとつずつ動きを確かめながらのアクション。
「キスはさすがに無理でしょ!」
という高校生に対して、
「だったら、無理無理〜!ってリアクションを身体で表現してみようか」
とアドバイスする岩崎さん。高校生と演出家の、アイデアの応酬で大変盛り上がったワークショップとなりました。
◆プロフィールを身体で表現
身体のパーツという共通項を合わせていくワークショップの次は、パーソナリティを題材にしてお互いを知り、劇の方向性を探っていく取り組みです。岩崎さんから与えられたテーマは「160文字以内で、あなたのプロフィールを書いてください」。デジタルネイティブ世代の高校生たちは、短文で自分を伝えることに慣れている様子。早々に自己PRが仕上がっていきました。
完成したプロフィールテキストをスクリーンに投射すると、ワークショップのスタートです。舞台脇でひとりの高校生がスクリーンに映し出されたプロフィールのテキストを読み上げると、舞台中央に立ったプロフィールの本人は、そのテキストに合わせてジェスチャーで自分を表現していきます。たとえば「18歳」とプロフィールに書いたのであれば、「18歳」をジェスチャーのみで伝えなくてはいけません。読み手は、絵文字も例外なく声に出して読んでいくのですが、プロフィールの本人には、自分が動くタイミングをこのペースに合わる瞬発力も要求されます。
早々にプロフィールを書き上げた高校生たちでしたが、この設定には四苦八苦。他人の声と自分の動きとのタイミングの合わせにくさ、イメージどおりに行かない歯がゆさなど、最初に取り組んだ『合わせる』メニューとは打って変わって、「合わなさ」、「はまらなさ」を実感しているように見えました。
初日の稽古でプロフィールをベースにした演劇作品を作るというコンセプトが固まり、数日間の稽古によってさらなる進化を遂げた実験的演劇工房8本目の作品『Keep the Face』は、無事上演日を迎えました。
◆21の悩みと、21の顔
作品のテーマはタイトルにもある『顔』。演出の岩崎さんはパンフレットの中でこう語っています。“Keep the Faceは顔を保てではありません。信念を貫けとの呼びかけです。舞台に輝く高校生たちの顔に注目です!”その言葉を体現するかのような高校生たちの演劇が舞台で披露されました。高校生たちの顔と、信念と、悩みの物語です。
『Keep the Face』は①顔の造形を争う『変顔バトル』、②スクリーンに投射されたプロフィールを声と身体で伝える『私のプロフィール』、③自分の中にない感情や感覚をモチーフにしたショートストーリー『ないものねだりの勇者たち』、そして、④ベンチに座って悩みを打ち明け合い励まし合う悩み相談コーナーという4つの場面を1セットとして繰り返し、この中に、アクセントとして顔にまつわる偉人・有名人の言葉がインサートされる構成。
『変顔バトル』では、マスクを外して自らの顔面をこれでもかといわんばかりに変形させていく高校生たちの姿が会場の笑いを誘います。
また、初日の稽古で試みたテーマがそのまま劇の1ブロックとして成立したのが『私のプロフィール』。稽古で苦しんだ発話と身体の整合性も見事な仕上がり。繰り返し稽古に取り組んだ成果を舞台上で垣間見ることができました。
『ないものねだりの勇者たち』は、自信がない演劇部員、友達がいない高校生、勇気がない後輩、料理と洗濯が出来ない女性というそれぞれが抱えた“ない”悩みを描いたショートスケッチ集。高校生が演じる悩み多き人物たちですが、彼らが抱える悩みはすべての世代が共感できるような内容で、共通の悩みを今まさに抱いている人も、過去に抱えていた人も、誰もが自分のことのように見られるテーマが設定されています。高校生たちの身体を通して発せられる、悩みを解決する糸口がそこかしこに散りばめられた台詞も心に迫るものがありました。
ひとつのベンチに次々と現れる「悩ましき高校生」と「悩みを解決する高校生」の2人芝居は、悩みを吐露することの気まずさとともに、その悩みは他者にとって大した悩みではなく、あっという間に解決できるという人間同士の関係性を高校生らしい瑞々しさで描いたショートストーリー。悩みを告白すると、すぐに解決してくれる。告白する。解決する。つぶやくと即レスしてくれる。そんなデジタルな掛け合いを想起する言葉のやり取りは小気味よく、テンポ良く悩みが解決してく様子は、現代のややドライな人間関係も象徴させる仕上がりになっていました。
最後は20年後の自分のプロフィールを発話して、身体で伝えるシーン。2041年の自分を想像しながら書いた架空のプロフィールは、東京で社会人、絵描き、公務員、月に移住(!)などとユニークで、でもどこかリアルな生徒たちの未来を描くものでした。21世紀を生きる、21人の高校生の、21個の悩みと顔。ここぞとばかりに夢を語る生徒たちには、岩崎さんが言うとおり、信念と輝きがありました。
本作品は、マスクによって外面的なものであるはずの『顔・表情』が埋没している現在の状況と、パーソナリティを言葉と身体によって外面に押し出すことで、21名の高校生の役者と個人というふたつの顔を表現した、文字通り実験的であり、演劇的な作品でした。