【レポート】Chopin The Series ~高橋多佳子のピアノで贈るショパンの心~ オール・ショパン・プログラム
- 会場
- サントミューゼ
Chopin The Series ~高橋多佳子のピアノで贈るショパンの心~ オール・ショパン・プログラム
作曲家ショパンに焦点をあて、その代表作で綴る全3回、各60分のコンサートシリーズが、8月、9月、11月に開催されました。第12回ショパン国際ピアノ・コンクールで第5位に入賞し、国立ワルシャワ・ショパン音楽院で学んだピアニスト高橋多佳子さんが、演奏とトークでショパンの心に迫りました。
《Nasza Polska!》 ~「ナシャ ポルスカ!」私達のポーランド~
2021年8月20日(金) 19:00開演 サントミューゼ小ホール
1回目は《Nasza Polska!》(私達のポーランド)というテーマで、主にポーランド時代のショパンが作った曲に焦点を当てます。高橋さんの知るショパンのさまざまなエピソードとともに、幼少期から青年期のショパンが音楽を通して蘇ってきます。スクリーンには、高橋さんが撮影したポーランドのショパンゆかりの地の写真が次々と映し出されました。
「ポロネーズ 変イ長調 遺作」は11歳の時、ピアノを教えてくれていたジヴニー先生へのプレゼントとして作曲されました。ショパンには6歳で聴いた音楽をピアノで再現し、即興を弾いていたとか。7歳で初作曲、8歳でラジヴィーウ宮殿にて初コンサートを開いたなどのエピソードがあり、早熟の天才だったことが分かります。
「マズルカ イ短調 作品17-4」は14歳頃の作品ではないかと言われています。この頃、ショパンは夏休みに滞在していた地方都市で、伝統舞踊マズルカに出会います。夏の滞在はとても楽しかったようで、ショパンは両親に宛てて新聞調の凝った手紙を出していました。肖像画から繊細な印象を受けるショパンですが、ものまねやマンガ的な絵が得意というコミカルな一面があったようです。
19歳になってワルシャワ音楽院に入り、恋愛も経験します。声楽の学生コンスタンツィアに一目ぼれし、彼女のことを思って書いたのが「ピアノ協奏曲 第2番」の第2楽章「ラルゲット」です。
そして20歳の頃、演奏旅行で国外に出た直後、ポーランドで革命が起きます。帰国がかなわずパリに住むことになったショパンが注力したのが「バラード 第1番」でした。同郷の亡命詩人アダム・ミツキェヴィチの詩にインスピレーションを得て書かれた曲で、十字軍に村を滅ぼされた者の復讐劇という悲劇的なストーリーです。パリで名を立てる意欲に燃えながらも、祖国への愛を片時も忘れず曲に刻み続けたショパン。「ポーランドの人々にどれだけ大きな勇気を与えたか、現代の人にとってもショパンはヒーローなんです」と高橋さんは締めくくりました。
《Mon français》 ~「モン フランセ」私のフランス~
2021年9月11日(土) 15:00開演 サントミューゼ小ホール
2回目は《Mon français》(私のフランス)がテーマ。今から190年前の夏の終わりにパリに到着して以降のショパンを追います。祖国での革命失敗という悲報に傷ついた心は、華やかで自由な都パリの空気と、大勢の亡命ポーランド人との邂逅で徐々に癒されていきます。貴族が集うサロンでの演奏で生活の安定を得て、さらに1832年に演奏会でパリデビューし、当時の一般的なピアノ演奏とは違う独創的な演奏が大絶賛されます。
20代後半のショパンはマリア・ヴォジンスカヤからの婚約破棄、作家ジョルジュ・サンドとの出会いといったドラマと並行して、音楽家としても確固たる地位を築いていきます。3曲目の「スケルツォ 第2番 変ロ短調 作品31」は27歳の時の作品。1曲目のワルツ「華麗なる大円舞曲」は、楽譜が飛ぶように売れていたショパン33歳の時の作品で、重厚さと軽快さの対比が素晴らしく、音楽家として乗りに乗っていたことがうかがえる作品です。
マヨルカ島へ渡ったショパンは、冬の雨期が体に障って体調を崩していきます。思わしくない体調とはうらはらに作曲家としては黄金期を迎え、作曲されたのが「24の前奏曲」でした。「あの世とこの世を行ったり来たりするような曲」と高橋さん。が表現するように、まるでピアノにささやきかけるような演奏が印象的でした。
パリに戻ったショパンは、夏はサンドの故郷・ノアンで作曲活動にいそしむようになります。黄金期は続き、ここで32歳の時に作曲されたのが4曲目の「バラード 第4番」。高橋さんは「どれも素晴らしいショパンの音楽の最高峰のひとつだと思います。一生かけて勉強していきたい曲です」と、思いを込めて演奏しました。
《ショパンコンクールの心》 ~ショパンを愛しショパンのために~
2021年11月12日(金) 19:00開演 サントミューゼ小ホール
そして3回目は、10月に行われた第18回ショパン国際ピアノ・コンクール後の開催。音楽評論家でピアニストの下田幸二さんをゲストに、今回日本人入賞者2名を出したコンクールについて、ふたりのトークは盛り上がりました。下田さんは1987年からポーランドに10年留学し、1990年のコンクールから全曲現地で聴いているというショパンコンクール通でもあります。
1987年の第12回大会に出場して第5位に入賞した高橋さんは、当時1次予選で「ノクターン 第18番 ホ長調 作品62-2」を弾きました。そして、「マズルカ 変ロ短調 作品24-4」と「即興曲 第2番 嬰ヘ長調 作品36」は3次予選での課題曲。演奏後に「難しいですね」と言いつつも、高橋さんは難しさをみじんも感じさせないスムーズで素晴らしい演奏を聴かせてくれました。
高橋さんが「人生で一番緊張した」と語るショパンコンクール、今年は502名が応募し、5回の予選を経て12名が本選を争いました。第2位の反田恭平さん、第4位の小林愛実さんは、どちらも下田さんの桐朋女子高等学校音楽科(共学)での教え子。現地での反田さんとのツーショット写真がスクリーンに投影されます。「本当は2020年に開催される予定だったコンクールが1年延期になり、弾くほうも聴くほうもエネルギーを溜めていたと思います」と語る下田さんは、ふたり以外にも甲乙つけがたいコンテスタントたちの名前を挙げ、いかにレベルが高いコンクールだったか教えてくれました。
ショパンシリーズの最後を飾ったのは、「ソナタ 第3番」から第1楽章と第4楽章。この曲は、ショパンが父の死にショックを受けて、一時期作曲が中断した曲です。しかし、スケールの大きい第1楽章と力強くドラマティックな第4楽章からは、その悲しみを乗り越えた軌跡が読み取れるようです。エネルギーに満ちた、堂々たる高橋さんの演奏で締めくくられました。
ショパンとポーランドとの縁浅からぬ高橋さんだからこそ実現した、非常に贅沢なオール・ショパン・プログラムでした。
【プログラム】
《Nasza Polska!》 ~「ナシャ ポルスカ!」私達のポーランド~
ポロネーズ イ長調 作品40-1「軍隊」
ポロネーズ 変イ長調 遺作
マズルカ イ短調 作品17-4
ノクターン 第4番 ヘ長調 作品15-1
バラード 第1番 ト短調 作品23
ピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調 作品21より第2楽章「ラルゲット」
《Mon français》 ~「モン フランセ」私のフランス~
ワルツ 第1番 変ホ長調 作品18「華麗なる大円舞曲」
ノクターン 第5番 嬰ヘ長調 作品15-2
スケルツォ 第2番 変ロ短調 作品31
24の前奏曲 作品28より 第17番 変イ長調
バラード 第4番 ヘ短調 作品52
《ショパンコンクールの心》 ~ショパンを愛しショパンのために~
ノクターン 第18番 ホ長調 作品62-2
マズルカ 変ロ短調 作品24-4
即興曲 第2番 嬰ヘ長調 作品36
ソナタ 第3番 ロ短調 作品58より 第1楽章、第4楽章