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【 レポート 】上田市立美術館コレクション展 中村直人 -異才の表現-

みる・きく
会場
サントミューゼ

 

2020年3月14日(土)~6月7日(日) 開催の「上田市立美術館コレクション展 中村直人 -異才の表現-」の様子をレポートします。

 

 

1905(明治38)年、現在の上田市・神川地域に生まれた中村直人(なかむらなおんど)。

日本で彫刻家として活躍したのち突然渡仏し、今度はパリで画家として人気を博すという、異色の経歴をもちます。

 

ジャンルや国を超えて変転する、直人の作品群をご紹介します。

 

 

 

展示は、大きく2部に分かれています。

まず第1部は、直人の少年期から戦中までの作品を紹介するものです。

現在では洋画家として人気の高い中村直人ですが、初めは彫刻家として芸術家のキャリアを出発させました。

 

 

直人が少年期を過ごした大正時代、山本鼎により神川地域から全国的に美術教育運動が展開されていました。

新しい美術の機運に触れ、やがて彫刻家に憧れをもった直人は、1920(大正9年)に15歳で上京を決意し、鼎の紹介により木彫家・吉田白嶺の木心舎に入門。

公募展で次々と入選し、着実に実力を身につけていきました。

 

1937(昭和12)年、日中戦争が勃発すると、直人は通信員として中国華北地方に赴きます。

当地の風物や戦地の様子を題材に生まれた彫刻や絵画が、多く残されています。

 

《大同雲崗鎮石仏》1930年代

 

古来の東洋の彫刻表現に着目したり、進軍の様子をエジプトやアッシリアのレリーフのように表現したりするなど、旺盛に発表し続ける作品は独創的で、この表現の多様さは、その後も常に直人作品の特徴であり続けました。

しかし、この戦時期の活発な活躍により、戦後直人は戦争協力者として糾弾されることとなりました。

 

《暁の進軍》1938年

 

真横を向いた顔や輪郭線の強調が、異国のレリーフを思わせる。

 

 

 

当時パリで活躍していた画家・藤田嗣治の勧めもあり、直人は47歳となった1952(昭和27)年、日本でのキャリアを捨て突然一家で渡仏します。

展示第2部では、直人のパリ時代以降の作品をご紹介します。

 

 

 

美術界の最先端の地であったフランスで、日本人芸術家として身を立てる必要に迫られた直人は、やがて彫刻ではなく比較的手間のかからない絵画作品を制作するようになりました。

 

 

 

また、偶然の経験から、一度絵の具を乗せた紙を揉み、意図的に画面にひび割れをおこし、独特の絵肌を生む技法を発見します。

こうして描かれたグアッシュ(不透明水彩絵具)作品はパリの人々の目にも新鮮に映り、地元の新聞に「ナオンド・ナカムラはパリを征服にやってきた」とまで評されるほどの人気ぶりを見せました。

 

《女と猫》1952-1964年

絵の具のひび割れから、下地の色が覗く。

 

1964(昭和39)年、13年ぶりに帰国した直人は、東京・銀座で滞仏絵画展を開催し、日本画壇への復帰を果たしました。その後、1981(昭和56)年に亡くなるまで、公募展への出品や個展開催を何度も行い、精力的な活躍を見せ続けました。

 

 

 

今回の展示では、第1部、第2部と、展示室の雰囲気が全く違って見えるように構成しています。

同じ人物によるものとは思えないほど変転する直人作品だからこその展示ですが、あらゆるモチーフへの大胆な挑戦や、単純な輪郭線によるモノの量感の表現など、日本時代から一貫した制作への姿勢も、そこには確かに通底しています。

 

 

Text=山極佳子

 

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