サントミューゼ(上田市交流文化芸術センター・上田市立美術館) おかげさまでサントミューゼは10周年

JA

【 レポート 】特別展示「山本鼎 青春の絵はがき」

みる・きく
会場
サントミューゼ

【 レポート 】特別展示「山本鼎 青春の絵はがき」

2017年12月2日(日)~2018年2月12日(月)

 

 

版画家・洋画家、そして教育運動家として近代日本美術教育史に大きな足跡を残した芸術家・山本鼎(1882‐1946年)。

そんな鼎が、メールやSNSなどの便利なツールが無かった時代に、自分の近況を伝えるため家族や作家仲間たちとやりとりしていた、絵はがき46点の特別展示を2017年12月2日(日)から2018年2月12日(月)までの53日間、上田市立美術館で開催しました。

 

 

 

 

今回の特別展示は、今日の版画芸術の確立や、美術教育に大きな影響を与えた山本鼎の知られざる青年期(20代)に焦点をあてたものです。

 

明治時代、鼎が長野県小県郡神川村大屋(現上田市)で医院をしていた両親などに宛てた23枚の絵はがきと、石井鶴三や小杉未醒(放菴)、倉田白羊、村山槐多といった同世代の同じ志を持った作家仲間たちが、鼎や彼の両親宛てに出した絵はがき23枚の、合計46枚の絵はがきが展示室に並びました。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

今回展示された絵はがきは、はがきにイラストや写真が既にプリントアウトされたようなものではなく、実際に若き山本鼎や作家仲間たちが鉛筆スケッチや水彩画を手描きしたもので、どれも趣向を凝らした可愛らしいイラストが添えられています。

 

 

 

絵はがきの内容は、普段の何気ない出来事や、日々の暮らしぶりを知らせたものです。

例えばこの絵はがきは、鼎が明治37年に鼎が上田に住む母親・武(たけ)に宛てたものです。

はがきの裏面には、こう綴られています。(以下現代語訳)

 

   「昨日と今日はなかなかに暑いですね。
  調子はいかがですか?
  気分のよい時には
  お便りをお送りください。
  昨日から私たちの在籍する東京美術学校西洋画科で
  恤兵絵画展覧会を開きましたので
  看板を描いたり
  絵を展示したり
  来客の接待を手伝ったりと
  朝から日が暮れるまで
  息継ぐ間もないくらい忙しいのです。
  今日は村井のお稲さんに会いましたよ。
  三田(=現在の東京都港区三田)の小山に住んでいるとか。
  馬に似た顔は相変わらずですね。
  6月1日                  かなえ」

 

この「恤兵絵画展覧会(じゅっぺいかいがてんらんかい)」とは、

日露戦争の支援の献金・寄付のため、東京美術学校の日本画・西洋画の両科で各々開催された展覧会のことです。

 

絵はがきに描かれた人物たちは、同じく展覧会を主催する仲間たちの姿でしょうか。

20歳の鼎が、忙しく活気に満ちた学生生活を過ごしていた様子が伺えます。

 

 

また、次の絵はがきは、鼎がアルバイト先での感想を書いたもので、

20歳の若者のリアルな感情がよく伝わってきます。

 

 

 

   「今朝からパノラマを
  描きに行って、たった今帰ってきました。
  ここに描いたイラストみたいに、
  ヤグラに登って20cm足らずの渡し木の上での仕事、
  面白いといえば面白いんですが、ホントに怖いんです。
  モデルを使わないで、
  全部を描かないといけないので、これが案外難しい。
  黄色い着物も一日でメチャメチャに汚れてしまいました。」

 

文中にある、黄色い着物というのは、先ほどの絵はがきに描かれた中央の男性が着ていたものです。

つまり、先ほどの中央に描かれていた黄色い着物の男性は、鼎自身という事が分かります。

 

「パノラマ」というのは、19世紀にヨーロッパで流行し、明治中期に日本で人気を博した娯楽施設の一つで、

鼎はその背景を描くアルバイトをしていました。

鉛筆と水彩画で描かれたイラストから、木を組み上げた高い足場の上で絵を描く作業に悪戦苦闘している姿が浮かぶようです。

 

現代では、メールやSNSで離れた家族や友達と気軽に写真を送り合ってやりとりをしますが、

当時はそういった便利なツールが無い時代です。電話なども全ての家にあったわけではありません。

当時の人々にとって、自分の近況をユーモラスなイラストを添えてやり取りをしていた絵はがきが、

相手とつながっているために、今以上に重要な役割を果たしていたのです。

 

 

 

 

また、絵はがき以外に、鼎の版画作品や洋画をはじめ、鼎が提唱した農民美術運動の工芸品などの当館のコレクション作品も一緒に展示しました。

山本鼎の代表作と言えば、明治37年に雑誌『明星』に発表し、石井柏亭によって「刀画」と命名された木版画《漁夫》などが有名です。今回の展示では、その《漁夫》のためにスケッチしに出かけた千葉県銚子から上田に暮らす父親宛てに出した年賀状と、実際の作品を併せてご覧いただきました。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

◆ギャラリートーク

 

 

 

2017年12月9日(土)13:30~
2018年1月13日(土)10:30~
2018年2月10日(土)13:30~

 

会期中には、特別展示された46枚の絵はがきと共に、これまで知られていなかった鼎の20代という青春時代を紐解いていくギャラリートークを開催いたしました。

共同開催である長野市の信州新町美術館の前澤朋美学芸員が46枚の絵はがきについて、上田市立美術館の学芸員が所蔵している鼎の作品やその人生について解説しました。

時代背景や鼎の過ごしていた生活の様子の話から、絵はがきや鼎について理解が深まるギャラリートークでした。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
絵はがきは、版画や絵画のような芸術作品ではありませんが、

はがきの小さな紙面に描かれた絵や文章のそれぞれに画家のセンスが感じられます。

展覧会を観て、「自分が若いころに実家の両親や友人に同じように絵はがきを送った記憶がよみがえり、身近なテーマに面白く感じました。」とお話いただいたお客さまもおられました。

私たちにとって身近なツールだからこそ、その面白みや作家の人となりを感じていただけたのではないでしょうか。

 

 

「特別展示 山本鼎 青春の絵はがき」展覧会概要はコチラ