第9回 山本鼎版画大賞展

審査員

岩渕 貞哉
『美術手帖』編集長
遠藤 竜太
版画家・武蔵野美術大学教授
荻原 康子
サントミューゼ総合プロデューサー
木村 秀樹
画家・版画家・京都市立芸術大学名誉教授
倉地 比沙支
版画家・愛知県立芸術大学教授
古谷 博子
版画家・多摩美術大学教授
50音順・敬称略

講評

審査員長木村 秀樹 画家・版画家・京都市立芸術大学名誉教授

 山本鼎版画大賞展は平成11年の第1回展以来、9回の開催を重ねてきたが、今回は新しい試みとして、平置き(60X60X20cm以内)の版画作品も含めて募集対象とした。’60年代から’70年代にかけて興った”版画概念の拡大”動向まで遡らずとも、複数生産が可能な立体作品としての版画は、版画表現の可能性を探る1つの水脈として存在し続けたし、過去の山本鼎版画大賞展を振り返っても、レリーフ状の、平面を逸脱するかのような版画作品を展示してきた経緯もある。審査員の一人として、版画制作者の意欲を広く喚起する試みとして歓迎するべきと考えていたところ、期待に違わぬ数の応募作品が集まり、その敏感な反応を喜んでいる次第である。
 今回の応募作品の全体を見せて頂いた印象としては、技術的、形式的、応募者の国籍、といった意味で、多様性が一段と進んだ事、そして作品の制作過程におけるデジタルプロセスの介在が、さらに一般化しつつある事、をあげておきたい。毎回言及させて頂いている事ではあるが、バランスのとれた非常にレベルの高い版画コンペである事は言うまでもない。
 大賞は、張雨倫氏の《88512963》に決まった。本や冊子等の日常的な事物を数センチほどに縮小したオブジェに仕上げ、それ等を60センチ四方の台に規則正しく並べた作品である。夫々のオブジェは銅版画技法を援用して丁寧に、そして楽しく作られている。本には1頁ごとに絵や文字が書き込まれており、極小サイズとは言え、個体でも独立したオブジェとしての完成度を備えている。情報によると、通常は実物大程度のサイズに仕上げた本などのオブジェを、広い会場にインスタレーションする作家のようだが、今回の応募にあたっては、縮小というファクターが新たに加わったことになる。ひたすら巨大化する現代美術の潮流に抗うかのごとく、ミニアチュールサイズを対峙させたとも言える試みであり、作者の継続的な展開を期待したい。
 準大賞には、前田由佳理氏の《What's wrong with freedom?》が選ばれた。氏は第6回展で優秀賞も受賞している、いわば本展の常連であるが、今回の出品作は、銅版画のオーソドキシーという観点からしても非常に完成度の高い佳作である。画面の中核にある人物や風景の描写も、ラインエッチングの確かな技術に裏付けられ、説得力がある。出品回数を重ねるごとに作者の技量と画質の充実を感じさせ、本展の存在意義やいくばくかの貢献を自惚れた次第である。

 もう1本の準大賞は、鈴木遼弥氏の《day count : 91》が選ばれた。一見すると写真製版のシルクスクリーンかインクジェットプリントの援用による作品かと思わせるが、実は水性の板目木版の多色刷りで完成されている。版種と表現の一体性の瓦解と言うのだろうか、これまで、その版種特有と見なされてきた表現や効果の変容現象に気付く様になって久しいが、情況は一段と深化しているようだ。この現象に対する評価は別れるだろうが、単なる技法的小細工にとどまらず、自らのイメージの改変を呼び込みかねない実験的探求を感じさせる限りに於いては、むしろ意欲的マニエリズムとして肯定的に評価したい。
 サクラクレパス賞を受賞した、民谷茜氏の《Night view #3》も、写真製版のシルクスクリーン技術を活用しつつも、手描きフィルムの露光時間を変えて得られた複数の版を積層する事によって、独自の画面生成に成功している。他の技法によっては決してたどり着くことができないユニークな風景画となっている。
 300点近い応募作から入選作を選び出す審査の難しさは言うに及ばず、受賞作品の決定もまた困難を極めた。賞候補として上がった作品それぞれが、表現として非常に高い質を保持していたからである。一般論としての2つの大きな評価基準、すなわち先駆性と完成度あるいは革新性と成熟度という、相互補完的でありながらもそれぞれ異なったベクトルをもつ尺度からすれば、結果としての受賞作品のラインナップは前者、すなわち版画と言う表現領域の可能性をさらに広くかつ深く探っていこうとする意欲を感じさせる作例に偏っているのかもしれない。この事は成長分野としての版画を信じるが故の傾斜であり、山本鼎版画大賞展という若手(実年齢ではない)激励装置のさらなる活性化を願っての事であるとご容赦頂ければ幸いである。

岩渕 貞哉 『美術手帖』編集長

 今回はこれまでにも増して版画の多様な表現が見られたように思う。それはデジタルを含めたテクノロジーの選択肢が増えるなかで、制作にあたって様々な感覚とのやりとりがあったことを想像させる。なかでも入賞した作品は、表現したいものと技法の選択とその組み合わせが説得力を持って伝わってくるものが多かった。
 大賞の張雨倫《88512963》は、子供時代の思い出や感情を印刷された本の小さなオブジェに閉じ込めた私的な記憶のアーカイヴの集積となっている。一つずつ並べられたそれは、並べ替えられることで記憶の可変性や、数を増やし拡張性を持つことで私的な領域にあるものが社会に浸透し伝わっていくさまが想像できて、思いのほかスケールの大きな作品となっている。
 準大賞の鈴木遼弥《day count : 91》は、見慣れたなにげない風景ながら、対象との距離感と構図、黄色と赤の配置の効果か、平穏と不穏の絶妙な際に立っているような作家独自の感覚が光っていた。同じく準大賞の前田由佳理《What’s wrong with freedom?》は、作家としての自信と覚悟が伝わってくるような堂々とした作品のたたずまいが印象的だった。サクラクレパス賞の民谷茜《Night view #3》は、一枚の画面のなかでアニメーションを見ているかのような、積層する時間を感じさせる豊かさと奥行きを持った作品だった。
 最後に優秀賞のなかで印象に残ったものについて。中村紗友里《ぐるり》は、宮沢賢治の短編小説『よだかの星』のなかの「ぐるりぐるりぐるりぐるり」の重力と速度をともなった感覚性に着目したもので、版を重ねることの効果が出色だった。日髙衣紅《黒島傳治著『武装せる市街』(改訂版)二五〇–二五一頁》は、そのタイトルにある書籍の見開きを刷り重ねることで、活字の物質性を極限まで高めており、表現と社会との間にある軋轢や侵犯をともなう接続面が具体性を持って迫ってきた。

遠藤 竜太 版画家・武蔵野美術大学教授

「第9回山本鼎版画大賞展の審査を振り返って」

 今回から従来の壁掛け作品に加えて平置き作品も募集要項に加えられた。これは、近年のブックアートや立体作品などの多様な版画表現を広くすくい上げようとする意図であり、自由を尊ぶ創造性を提唱した山本鼎の名を冠するコンクールにふさわしい試みだと思う。

 まずは多様化している版画について触れたい。かつて1970年代頃のアートシーンにおいて、いわゆる「版画概念の拡大」として斬新な表現が多く生まれた。それは、当時の時代背景と重なり批評的で自己言及的であることが大きな特徴だった。一方、近年の広がりはそれとは少し異なっていて、版画が持つ元来の性質に素直に反応し、肩肘張らずに生まれているように感じる。その性質とは、美術・デザイン・工芸などの領域を横断する印刷メディアとしての機能だろう。たとえば、出自である本への回帰、デジタル技術との親和性、情報伝達手段としての活用、複製による大衆化、などのアプローチによって様々な表現が展開されている。いずれにしても、既成の枠内にとどまることなく軽やかに外部と繋がっていく能力が、版画には本質的に備わっているのではないだろうか。
 大賞の張雨倫の作品には、そのような可能性を強く感じた。小さな銅版画を纏めた豆本や、段ボールの断片に貼られた銅版画が木製ボックスの上に並べられている。おそらく版画という概念についての意識はなく、版の機能に惹かれて作品制作に取り入れているのだろう。独特の遊戯的な造形感覚によって版画の新たな一面を見せていると評価した。

 さて、言うまでもないが、多様化してもその中核を成すのは版画技法特有の魅力が詰まった作品であることに変わりない。今回もそのような作品が多く出品されていて、この展覧会の水準の高さを改めて認識した。ここで、評価された受賞作のいくつかについて触れてみたい。
 準大賞の鈴木遼弥の作品は、記憶の中にある情景を形象の境界がぼやけたイメージによって描いているが、その表現を支える木版画技法の独自性と技術の高さにおいて際立っていた。
 もうひとつの準大賞の前田由佳理の作品は、コラージュ技法の重層的画面空間が、作者の記憶や家族に対する想いと的確に結び付き、説得力のある表現となっている。
 サクラクレパス賞の民谷茜の作品は、孔版のレイヤーによる深い黒色と刷り重なった筆致が強い臨場感を作り出し、写真イメージを作者の豊かな感性が伝わる魅力的な画面へと高めている。
 優秀賞の日髙衣紅の作品は、ある書籍のページの文字を版下として、孔版によってインクを積層させて立体的にしている。その技法の効果と特定の書籍が織りなすコンセプトが新鮮であった。
 優秀賞の中村紗友里の作品は、言語についての考察を、木活字(木版)を摺った薄い和紙を重ねて可視化しようとしていて、版表現を言語文化と繋げるアイデアがユニークである。
 文字数に限りがあり、受賞作すべてに触れることはできないが、いずれの作品も技術的な工夫によって独自の表現を構築し、版画表現の魅力に溢れていた。版画は往往にして技法・技術のみに興味が偏向してしまいがちだが、今回の審査を通して全体的に技法と主題・コンセプトが合致している作品が多かったという印象である。

 第9回展の審査を振り返ってみたが、この山本鼎版画大賞展は、これまでの実績からして紛れもなくこの時代の版画表現をリードする展覧会の一つだと言える。その原動力となっているのが、実行委員会をはじめ運営側の熱意であり、それに呼応して集まる意欲的な作家の水準の高い作品群である。作品を前にしてその責任の重さを肌で感じ、審査を担当する一人として身の引き締まる思いであった。

荻原 康子 サントミューゼ総合プロデューサー

 創作版画を提唱した山本鼎の名を冠するコンクール形式の本展も、3年毎の開催で9回目を数えるとなれば、この間の版画表現の広がりは著しい。そこで今回、新たに募集対象としたのが「平置き」作品である。展示の都合もあり、最大W60×D60×H20cm以内という制限を設けざるを得ないが、全271点の応募総数のうち7点が平置きの可能性に臨んだ。
 入賞作品の選出にあたっては投票とディスカッションを重ねたが、早い段階からすべての審査員が推したのが張雨倫氏の《88512963》で、まさに新規の試みに応答した「平置き」作品が大賞となった。応募資料を見れば大学のアトリエの床や壁いっぱいに小さな本らしきものが並べられていて、恐らくは日々の営みや感情を閉じ込めたのだろうそれらの一部を、本展の規定サイズにあわせて選び、示してくれたものである。大きな一枚の平面を構成するのではなく、掌中で日記のように、銅版で丁寧につくられ蓄積されていく小さなピースが集合する様は、作者の等身大のいまを感じさせユニークであった。
 はたして、この作品は、版画の特性である「複数性」を備えるのだろうかという点が、入賞作品発表の席で話題となった。そもそも本展が求める「版画」とはなにか、との問いである。だが本作に限らず、準大賞となった前田由佳理氏の《What’s wrong with freedom?》はコラージュの手法を用いていて、一枚で摺り上げたかのように見える絵の中に、細かく別摺りの版の部分が重ねられ画面を構成している。また宮澤佐保氏の《家の記憶》は、母の生家の写真を祖母が遺した燻炭を練り込んだ釉薬を用いて陶板に転写し、古屋にあった鉄板に縁取られて、これらの材は代替が利かない。まさに「唯一性」を発揮している。他の作者においても、版種特有の面白さを活かしながら自らの表現を追求する作品が多く、こうした自在さは、「創造的な版画」を促した鼎の志に沿うものだろう。
 作者の日常を垣間見るテーマとしては前述の大賞・準大賞作品もそうだが、同じく準大賞の鈴木遼弥氏《day count : 91》は、工事現場というありふれた風景を捉えており、エッジが効きそうな木版ながら、記憶が曖昧になっていくようにぼんやりとした像で表している。民谷茜氏の《Night view#3》は、シルクスクリーンでグレーを重ねた暗い画面から、夜道のねっとりとした空気を感じさせた。これらは画像データによる一次審査ではわからなかったテクスチャーから受けた印象であり、版画専門の審査員の方々に教えていただいたテクニックの妙味に感服した。
 さらに、黒島傳治著『武装せる市街』の一頁を扱った日髙衣紅氏、宮沢賢治著『よだかの星』から文章を引用して創作した中村紗友里氏の作品はどちらも、言葉の重みや存在感、リズムを版の技法で増幅して見せた点が興味深かった。
 他にも多くの応募作品から、新たな感性や創意工夫に触れることのできた今回であった。これからも「創造的な版画」を求め、多様な版画表現について議論を交わし、今日の感覚を掬い上げていく本展であり続けたいと思う。

倉地 比沙支 版画家・愛知県立芸術大学教授

「第9回山本鼎版画大賞展の審査を振り返って」

 中央道に乗り駒ヶ岳方面へ。日々の些細なことから解放されるように、雄大な山並みと濃緑の只中に吸い寄せられ、今では心の拠り所となった上田にたどり着く。

 第9回山本鼎版画大賞展は、2段階選抜となって2回目の審査である。271点の応募の中から5月後半に画像データによる第1次審査を終え、157点の作品が選出された。この時初めて美術館で「生」(ナマ)な作品群と対面をするのである。今までの版画の経験値や美学観をフルに使って作品を解析し、画像の記憶と実作品を照らし合わせながら、自身の感覚の確かさと良い意味での想定外を検証し選び出していく。
 審査に関わり多くの版画作品に対面できることは大変光栄な事ではあるが、同じ創り手が創り手をジャッジすることは、それほど楽しい事ではない。それは「おまえは出来ているのか」という問いが、すべて自身へ跳ね返ってくるからである。審査とは、他者を通して自己と向き合う作業でもあるのだ。

 今回の選出された作品の特徴は、アイデア先行というより、しっかりと描かれた、あるいは作り込まれた作品が選ばれている。
 大賞となった張雨倫《88512963》の作品は、豆本のような収集物によって構成され、それぞれのオブジェから、銅版の線への慈しみや些細な日常の至福感が感じられる。一見嗜好性を帯びた表現に見えるが、さりげなく版画と他ジャンルとの境界を抉り、かつ今回から導入された立体作品の規定を積極的に取り入れた「たくらみ」が心地よい。
 準大賞の鈴木遼弥《day count : 91》の作品は、木版による微妙なトーンを何度も摺り重ね、記憶を取り戻すように茫漠の中の所在を造り上げている。同じく準大賞の前田由佳理《What's wrong with freedom?》の作品は、日常に介在する価値の多重性から、作者の希望的観点から抜き取られた視点の構成によって創られている。ただその構成は単純ではなく、視点の構成と銅版制作とコラージュによって、複雑に絡み合いながらまとめ上げている確かな力量を感じる。
 サクラクレパス賞の民谷茜《Night view#3》の作品は、コロナ禍の不穏な状況下でも、前向きに日常を捉えようとする眼差しを感じることができる。一見ペンシル系によるリトグラフ作品に見えるが、描画によるシルクスクリーンを丁寧に露光し、モノトーン色を摺り重ねることで、明快な切れ味と抜けるような空間を保ちながら深みのあるシーンを創り上げている。
 優秀賞に関しては、確かな表現力と技術力を兼ね備えた甲乙つけがたい作品が選ばれている。
 特徴として、王敬昇《欄干会大壁画-2》・岸中延年《神木》・森桜子《自画像》の作品は、あえて1版1色にこだわり、シンプルな描画材や整版法を用いて、しっかりとした世界観を描き上げた秀作となっている。
アワガミファクトリー賞の宮澤佐保《家の記憶》の作品は、陶芸制作に使用する釉薬による転写技術を使用し、記憶をテーマにサイトスペシフィックな要素も含みながら、新たな版画表現に繋がる意欲的な作品となっている。
 他の受賞作品もいずれも力作であり、紙面上省かせて頂くが、受賞にふさわしい秀作であると自負している。

 最後に、審査進行に尽力して下さった関係者の皆様、この場を借りて厚くお礼申し上げます。

古谷 博子 版画家・多摩美術大学教授

 第8回山本鼎版画大賞が開催されてから、早くも3年が経ちました。当時はコロナ禍の影響が審査にも及んでいましたが、現在はほぼ日常を取り戻しています。しかし、世界中での分断や対立、地球環境問題など、依然として解決が難しい課題が残っています。かつて急速な近代化と社会変動の中でも、芸術で新しい時代を切り開こうとした山本鼎の功績に思いを馳せながら、今回の審査に臨みました。
 今回の審査でも前回のシステムを継続して、一次審査は画像データをオンラインで選考し、二次審査は一次審査を通過した作品のみ現物を搬入して会場で行いました。この審査方法により、若い人々の応募が増え、幅広い年齢層の方が応募するようになりました。オンラインでの一次審査では、インクの物質感や素材のテクスチャーなどの差異が伝わりにくいという懸念がありましたが、作品の構造的な部分やイメージの捉え方がよりストレートに見えるという利点があります。また、作者が制作に対するコメントを記入できる欄が設けられており、これによって作品を深く理解し、より丁寧に向き合う時間となりました。
 第9回展で大きく変更された点は、版を使うことによって生まれる表現の多様性に着目し、作品規定に新たに「平置き」が追加されたことです。版画は本や絵本などの出版物との親和性が強く、山本鼎が《漁夫》を発表したのも雑誌「明星」であったことを考えると、作品規定の表現性が広がったことは必然と言えるでしょう。また、新たに「立岩和紙賞」「アワガミファクトリー賞」「奨励賞」が設置されたことで、幅広い作品が受賞されることにも繋がりました。

 今回の大賞は、張雨倫さんの平置き作品《88512963》です。このタイトルは、張さんが子供の頃に使っていた、現在は存在しない電話番号に由来しています。作品は、銅版画で刷られた立体物や小さな本が平面的に配置され、家族や家に関わる個人的な記録が支持体に刷られてイメージ化されています。小さな本は一枚一枚ページをめくることができ、作者の細やかなこだわりが伝わってきます。それぞれの作品は個別に成立していますが、白い余白を通して自然と繋がり、互いに共鳴し合うことで、作者の意図を超えた「物語」を生み出し、どこまでも広がっていく力を感じさせます。準大賞の鈴木遼弥さんの《day count : 91》は、まず写真撮影を行い、その写真のイメージを水性木版画に置き換えたものです。写真はレンズを通してすべての情報を記録しますが、人は目で見たものを自分のフィルターを通して知覚し理解しています。そのため、人が捉える風景は無意識のうちに構造化されているとも言えます。鈴木さんは、写真を出発点とすることで、目や意識では捉えられない何かを探求し、見え方への問いを追及しています。もう一方の準大賞である前田由佳理さんの作品《What’s wrong with freedom?》は、日常の何気ない記憶を重ね合わせた作品です。作者自身の経験や感覚、そして問題意識を通して描かれた風景は、既視感のある時間が流れており、鑑賞者は自然に画面の中に引き込まれていきます。銅版画とコラグラフを用いた緻密でリアルな描写は、作品の完成度を高めており、いつまでも読み解きたくなる作品です。サクラクレパス賞を受賞した民谷茜さんは、大学からの帰り道に撮影した夜景を基にシルクスクリーンで制作しています。彼女は、その写真を描画でトレースし、マルチトーンに分版して印刷しています。この作品《Night view#3》は、コロナ禍で一変した日常の風景を描いており、何層にも重ねられたグレーのインクが独特の空間を生み出しています。あとに続く受賞作品も、いずれも作者の個性や完成度の高さが際立っており、多様なアプローチを持つ版画作品ばかりでした。そして、これらの受賞作品や入選作品の中には、コロナ禍や社会的テーマを扱い、この時代における人々の感情や社会の変化を巧みに捉えた作品が多く見られましたことも興味深く感じました。

 最後に、新しい試みを取り入れながら版画大賞展の開催にご尽力された多くの関係者の皆様に、心よりお礼申し上げます。